今までに執筆してご好評をいただいた『ニューオーリンズ編』と『ニュールンベルグ編』でほとんどすべての海外旅行の裏技やネタを出し尽くしてしまいました。(笑)
ですから、デュッセルドルフ編や今回のアトランタ編は観光案内が中心になってしまいます。もしも、展示会の規模や海外旅行の注意事項などをお知りになりたい時は、第一作目の『ニューオーリンズ編』から順にお読み下さい。
ただ、その代わりと言っては何ですが、今回は日ごろ懇意にさせていただいているオーエックス神奈川の森本ご夫婦がご一緒で、色々と本では勉強できないようなことを学ばせていただきましたので、そのいくつかをご紹介します。森本さんは車椅子歴17年以上で、たけしの『ここが変だよ!日本人!』にもゲストで登場したことがあります。
最後に、次回のメドトレードに行ってみたいなという方の中で、航空券やホテルの手配などでお困りのことがありましたら、お客様メールコーナーで何なりとお聞き下さい。私でできることであれば全力でお手伝いさせていただきます。旅行記のご感想や行かれた方の観光スポットご紹介、体験談なども楽しみにお待ちしています。
ようやく落ち着きを取り戻したかと思っていましたが、その矢先にロシアで800人以上を人質にとる過激派立てこもり事件が起きたり、日本人にとっても人気の高いバリ島で200人以上が犠牲になる爆破テロ事件が起きたりと、1年前の悪夢がふたたび襲いました。

テロや宗教、主義をここで論議するつもりはありませんが、仕事柄普通の人よりは人の生死と向き合った仕事をしていますので、1日も早く世界的平和が実現されることを強く願います。
私の個人的な意見ですが、文化を残すということと経済発展するということは、なかなか両立できないと思います。経済が発展すると人が集まって きますが、そうすると高層ビルが必要となるので古い建物は壊さなくてはなりません。アトランタがアメリカ有数の経済都市に発展していくためには、文化を象 徴する街の面影などが犠牲になってしまったのは仕方がなかったのかも知れません。

面影をなくすという大きな代償を払った結果、アトランタはアメリカで最重要都市の一つにまで発展したのですが、元々そうなる基盤はあったようです。アメリカ大陸がコロンブスに発見さ れて以来、アメリカの歴史上で早い時期からアトランタは交通の要衝とされており、1845年にジョージア州都となる時にこの地を走っていたウェスタン&ア トランティック鉄道の名にちなんでアトランタという名前がつきましたが、それまではターミナス(ターミナル=終着駅)という名前であったことからも、その ことは推測できます。
航空会社は直前のキャンセルを見越して実際の座席数より多めに航空券を発券しますが、時としてキャンセルが出ずエコノミークラスの座席が足りなくなることがあります。このような時に運が良ければ無条件で空席のあるファーストクラス(ビジネスクラス)へ入れてくれることがあるのです。しかし、運が悪いとファーストクラスもいっぱいで翌日の便や他社便へ振り替えということもあります。(滅多にありませんが・・・)

そんなこんなでビジネスクラスに乗り込んだ私は、恒例のノースウェスト航空70便にて関西空港を飛び立ったのです。
食事も豪華で、ワインやビールは飲み放題、前菜に始まってサラダにスープ、メインはサーロインステーキ、デザートに食後のコーヒーと、レストランのコース料理のように出てきます。
一つだけ自己弁護させていただきますと、'役得マイレージポイント'でアップグレードしたのは今回が初めてで、それまでの8年間は年に数回の海外出張はいつも10数時間(乗り継ぎ便も合わせると、実に片道20時間以上です!)エコノミークラスで頑張っていました。(って、これで普通ですけど)例えば、マイレージポイントが貯まるとそのポイントで無料航空券を手にすることができますが、そうすると会社としては交通費という費用が浮きま す。そもそも、そのマイレージポイントは会社の経費で航空券を購入して得たものですから、そのポイントの権利は会社にあるという訳なのです。
もちろん、会社が自由(私的)に使っても良いと認めている場合や、暗黙の了解である場合はこの限りではありません。ただし、最近では一部の人にだけ役得があると不公平感が生まれるということで、自由に使うことを認めない企業もあるそうです。
私の場合は、役得になってしまっていますが・・・。(笑)
その昔、出張でアメリカに行く時に旅行社にホテルの手配をしてもらったのですが、『ダウンタウンのホテルがとれました』と言われ、ダウンタウンを 誤解していた私は『ダウンタウンじゃないところにしてよ』とリクエストをし、その結果、郊外にある不便でサービスが悪く小さなホテルになっていたという失 敗をしたことがあります。(笑)
アトランタのダウンタウンは、やはり経済の中心地で、CNNの本社をはじめフォーチュン誌上位500社中の8割以上の大企業が拠点を 設けています。日本で言うと大阪や名古屋のような都市なのです。コカコーラの歴史やグッズなど'コカコーラ文化'のすべてを紹介したワールド・オブ・コカ コーラ展示館やアンダーグラウンド・アトランタのような娯楽施設が充実していますので、観光スポットとしても十分に楽しめます。
結局ホテルへ到着したのは、自宅を出発して約24時間後の現地時間で23時頃です。時間が遅いので一人で町に繰り出してレストランを探す勇気も元気も無く、こんな時のためにと持って来ていた非常食(パイとかっぱえびせんですが)を部屋でぐったりしながら食しました。カップヌードルやお湯で食べられるご飯、スナック菓子などは海外出張の必需品です。
翌朝、東京からJALで到着した雨宮さんと同じく東京からノースウェスト航空で到着した森本さん夫妻に聞くと、それぞれ到着が遅れたそうで、雨宮さんなんか3時間半くらい遅れたというので私はまだ運が良かった方かも。
大体の目安ですが、展示会期中の高級ホテルで1泊200ドル(税サ込み)くらいは覚悟しておいて下さい。もう少し格下のホテルにすれば安くなりま すが、地区をよく確認しておかなければ治安が悪かったり近くにレストランやコンビニエンスストアが全くない地区などであれば、結局は不便であったりタク シー代が高くついたりということになってしまいます。また、アメリカのほとんどのホテルはシングルルームもツインルームも価格が同じですので、2人で泊ま れば宿泊料金は半分になります。
ホテルですぐに中身を確認しましたが、幸い無くなっているものも壊れたものもありませんでした。思えば新婚旅行用に買ったお気に入りのサムソナイトで、海外出張ではいつも私と行動を共にした言わば相棒です。(って、言い過ぎでしょうか?)

本来は破損が見つかったその場で係員に申告しないと保障してくれないのですが、そこはアメリカを代表するノースウェスト航空。結果的には帰国して 事情を説明すると無償修理してくれました。修理不能で新品交換と思っていましたが、1ヶ月くらいで見事完全復活して返って来ました。お見事!
当社の社長か雨宮さん、森本さんの誰かと会うだろうとレストランでゆっくりと朝食をとりましたが結局誰とも会わず、少しばかり焦りました。事故やトラブルでもあったのだろうかと。しかし、それも杞憂に終わり、待ち合わせ時間の9時半には全員集合でメドトレード会場にタクシーで向かいました。
ちなみに会場までダウンタウン(中心街)からタクシーなら10分くらいで、料金は7ドルから10ドルくらいです。アメリカのタクシーは乗る人数によって料金が変わったり、空港⇔ダウンタウンのような特定の場所や地域へは料金が決まっています。ですから、場所によってはメーターを倒さないこともあり、初めてアトランタを訪問した94年にはそれを知らず、ぼったくり運転手かと思いその度に抗議しましたが、英語修行中なのとなまりのある南部英語ですので運転手の言っていることが聞き取れず、よくスッタモンダしたものです。

ところで、疲れていたりしてこのように話しかけられることが嫌な時の対処法をお教えします。東洋人と見ると『フローム ジャパン?』や『ジャパニーズ?』と聞いてきますので、こう答えるのです。『チャイニーズ。ニーハオ!』(笑)
随分と話が逸れましたが、この日の天気は曇りで低いところまで雲が降りてきています。向かいのビルの最上階付近などは全く見えない状態です。気温は20度くらいと思います。出発前にインターネットでアトランタの予想気温を調べた時は、最低気温が10度くらいと結構寒そうに載っていました。コートは意外と嵩になるので悩んだ末に持ってきませんでしたが、持ってこなくて正解でした。当てにならない天気予報・・・。
メドトレードの会場はワールドコングレッションセンターという所ですが、世界で最も有名なニュース発信企業CNNの本社ビルとは目と鼻の先です。
開場前の会場前(ダジャレじゃありません)は大変な人混みでした。日本の展示会のほとんどは入場受付のためにかなり多くの窓口を用意しますが、アメリカやドイツでは窓口が5つくらいしかないことが多く、とても混み合います。そもそも事前申し込みで入場カードを手に入れておけば窓口に並ぶ必要はないのですが、仮に10人に1人が当日受付をしたとしても数百人から数千人が少ない窓口に殺到することになるのです。今回、私たちは雨宮さんを除いて10人に1人の方でした・・・。
良い点は、見学する側にとって大量の名刺を持ち歩かなくても良いということ。出展企業にとっては、後からDMを出したりする時にいちいち宛名を書 かなくても自動的に宛名ラベルとして印刷できますし、来訪者分析をする時に業種別で分けたり、あいうえお順で並べ替えたりと思いのままなのです。
悪い点は、一部の人にとってだけですが、こちらの素性を隠したくても隠せないことです。例え ばライバル会社の情報を探りに行ったりする時ですが、架空の会社名などで入場登録をすると、自分が本当に欲しい商品や興味のある会社からのDMまでもが不 達になってしまいます。もっとも、私のように堂々と名乗ってライバル会社のブースへ行く変わり者もいますが・・・。

私たちが日本国内の展示会に出展していても、来られるお客様の中に必ず名刺のきれる方がいらっしゃいます。私たちにとっても、その方にとってもある いは名刺がきれるということが大きな機会の損失になっているかも知れないのです。簡単な名刺交換だから生まれるご縁もありますが、名刺がきれて名前や会社 名、連絡先などを手書きで記入するとなると、面倒くさいから『まっ、いっか』となりがちです。名刺がきれてから後のすべてのブースでいちいち記入するなん て、私でも億劫になります。
そんなお客様にも出展者にも便利で、おまけに機会の損失を防いでくれるアメリカの入場者管理システムは日本でも是非、導入してほしいシステムの一つです。もっとも、当日の入場受付でそれら入場者の情報をコンピューターに登録するキーパンチャーがたくさん必要ですが・・・。
私にとってアトランタはそれが初めてで、当時は治安の悪い地域があると事前情報で聞いていたことと、実際にニューオーリンズ編の 豆知識『アメリカの治安』に書いたように、銀行でお金を下ろしていると窓口の人に『この辺りは昼間と違って、夕方以降になるととても物騒なので、早くタク シーで立ち去った方がいいですよ』と警告をされたことがありましたのであまり良い印象ではありませんでしたが、98年に2回目の訪問をした時は、オリン ピック開催に際して当局が治安回復に全力を尽くしたこともあってか、ずいぶんと'安心できる街'に変わったようです。

まず飛行機ですが、航空会社によっては車椅子を手荷物として認めてくれないことがあります。最も大きな理由は、飛行機の通路は狭いので汎用タイプの車椅子では通れないからですが、森本さんの車椅子は両側の大車輪がワンタッチで取り外せ、そうすると狭い通路でも通れるようになるので、手荷物として持ち込みできることが多いのです。

今回のアメリカ出張では日本→アトランタ→ラスベガス→日本の全行程中、実に7回の搭乗をしましたが、ラスベガス→サンフランシスコの航空会社だけ(ちなみにNW航空ではありません)が車椅子の機内持ち込みを頑なに拒否しました。それまでも一度拒否されたことがありましたが、森本さんが大車輪を外して通路を通れることを実践すると納得してくれたのに、この航空会社はそれでも駄目の一点張りです。
責任者出て来ーい!という事態にまで発展し、最後は近くにいた日本人ツアーの現地スタッフまで通訳に呼びましたがやっぱり駄目とのこと。森本さんが折れて預けることにしましたが、替わりに用意されたのは機能的には車椅子のつもりかも知れませんが、腰と足をベルトでグルグル巻きにするので見た目にはまるで"護送用椅子"です。あと、今回は時間の短いフライトなので幸いでしたが、3、4時間以上のフライトであればトイレに行くなどの度にフライト・アテンダントを呼んで車椅子を用意してもらい、また腰と足をベルトで"グルグル巻きにしてもらい"、押してもらわなければいけません。安全面の配慮とは言え、そこまでする必要があるかどうか疑問です。足腰の弱った方やお酒の入りすぎた方が一人でトイレに向かっている方が危険な気がするからです。皆さんはどう思われますか?
私たちなら見栄もあって(笑)地元の展示会の方を優先しがちですが、彼らの理論では『知名度の高い地元よりもそうでない地区の方が大事』なのです。
日本の展示会では、例年よりもブースが小さくなると『経営が苦しくなったんじゃないの?』といらぬ心配をして下さる方がたくさんいらっしゃって、なかなか費用削減ができないと嘆く企業が多いようです。

メドトレードの会場に入ってまず思ったのは、『あれ?会場が小さくなったかな?』ということです。毎年あまりに会場が大き過ぎて端が見えないのですが、今回は辛うじてですが端が見えるのです。
昼食の時に全員集合したのですが、朝から例によってコテコテの朝食を腹いっぱいに食べていましたので誰も食欲がなく、サラダなどの軽いメニューで終わりました。私は朝食は味噌汁とご飯を1杯だけという極めて少なめなのですが、海外出張すると時差ぼけの一種なのか朝と晩を豪快に食べてしまいます。
昼食後もそれぞれ分れて探索しましたが、ようやく会場の端まで到達した時にあることに気付きました。天井から現在位置が分かるように、大きな垂れ幕に500番単位でブース番号が表示されているのですが、端に来たのに3000番台なのです。場内案内図では6000番くらいまであるはずなのに・・・。
もしや、もしや、もしや・・・。あー!もう一つ会場があるー!今でやっと半分だぁー!阪神淡路大震災の時に1Kmくらい離れた川まで徒歩で水を汲みに行き、もう少しで帰り着くという頃に凍った路面でひっくり返り再度同じ道を往復したことがありますが、その時以来のショックでした・・・。結局その日は2周するのが精一杯で、パンパンに膨れ上がった鞄と重い足を引きずりながらホテルへ帰りました。
まずシャワーですが、脊損などの人は下半身を自由に動かすことができませんので、バスタブに湯をはって入浴します。最後はシャワーで洗い流すのですが、この時にお湯を出すハンドルが高い位置にあってはお湯を出すことができません。そうすると、必ず介護者 (それも裸ですのでかなり親密な方に限りますが) が必要になります。また、欧米のシャワーノズルは高い位置に固定されていることが多く、これでは下手をするとお湯が頭を通り越してしまいます。
先にシャワーノズルの角度だけでも調整してもらっていると、勿体無いかもしれませんがお湯は浴槽の蛇口から出しっ放しにしておくと、低い位置にあるコックを上げるだけでシャワーに変わります。

次に洗面台ですが、欧米人は日本人に比べて体が大きいので洗面台などもとても高い位置にあります。そうすると鏡の方に置いてあるコップや歯ブラシを取ることが困難ですので、あらかじめ前の方に移動しておいた方が良いです。
床については、段差がないことはもちろんですが、毛足が長かったり沈み込むようなフワフワのカーペットも良くありません。車椅子をこぐ時に物凄く重いからです。今まで宿泊したすべての海外のホテルで、段差があったホテルはあまりありませんが、フワフワのカーペットはよくあります。健常者が歩く時の衝撃と階下への振動を吸収するためだと思いますが、車椅子の人にとっては不便です。他に細かいところでは、照明がベッド上でオンオフでき、しかもスイッチが低いところに付いていることや、ドアがそれほど重くないこと、バルコニーに出られる部屋であれば窓のサッシが埋め込み型であること、などがあります。
以上、解決できるものとできないものがありますが、それなりのホテルであれば必ず『コンシェルジェ』というサービスのプロがいますので、遠慮なく相談してみることをお勧めします。
コンシェルジェは、ほとんどのホテルのロビーに窓口があり、『CONCIERGE』という案内板があります。(なければフロントで聞いて下さい)
タクシーの手配はもちろん、『1人40ドルくらいでおいしい地元料理を19時に3人で食べたい。タクシーで15分以内で行けて日本語の話せるスタッフがいるか日本語のメニューがある店を教えて』なんて難題をぶつけても限りなく要望通りの店を見つけてくれます。
ホテル周辺や観光スポット、デンジャラスゾーン(危険な地域)などを教えてもらうのもいいですし、とにかく困ったら声をかけるときっと力になってくれます。ただし、その難易度に応じてチップをお忘れなく。
そもそも、かつてギリシャ料理などというものは食べた記憶がなく、おそらく今回が初めてだったと思いますが、どこがどうギリシャ料理なのかと聞かれると答えられないというのが正直なところです。その点、和食や中華料理ほど分かりやすい料理はありません。どこの国に行っても中華料理店だけはほぼ例外無くあり、どうしてもその土地の料理が口に合わない場合の緊急避難所のようなものです。(笑)

これはかなり主観が入りますが、目覚ましい発展を続け世界の超大国になったアメリカという国の文化は、効率性を重視しまくったのではないかと思うのであります!和食のように手間隙かけて料理の下ごしらえをしたり、客をもてなしたり、見た目にも美しい盛り付けをするよりは、如何に限られた時間で作業効率を上げるかに徹底したような気がします。

日本の場合はどうでしょう?今でこそ日本でもこのような『マニュアル化』が当たり前のように進められていますが、例えば味自慢のお寿司屋さんやラーメン屋さんの多くは、今でも簡単に"秘伝"を教えてはくれません。皿洗いや掃除などの修行から入って、運が良ければ2、3年で厨房に立たせてもらえます。そして店主から認められて秘伝を教えてもらうのに更に数年。暖簾分けなどは、まだまだ遥か先の話です。
だからこそ伝統の味が守られている訳で、精神を尊ぶ東洋人と実益を重んじる西洋人の文化の違いかもしれません。もちろん、どちらが良いとか悪いとかといった問題ではなく、お互いを認め合って・・・・・、ん?書いているうちに、なんでこんな話題になってしまったのか自分でも分からなくなってきました。すいません、話を戻します。
つまり、ギリシャ料理はとても美味しかったわけで、何が美味しかったと言いますと、一様にどの料理もですが特に巨大ロブスターは絶品でした。料理は全般的に魚料理がメインのようで、その点でも日本人向けです。
巨大ロブスターが出てきた時は、その大きさ故にかなり淡白な味を予想しましたが、口に運ぶと驚き!ダイナミックな歯ごたえと意外と繊細な味!そして素材の持ち味を100%以上に高めるソース!なんだか料理の鉄人の試食コメントみたいになってしまいましたが、でも正にそれほど美味しかったのです。
という訳で、アメリカは美味しい料理とそうでない料理が両極端というお話でした。
そうそう、さっきの脱線のついでですが、料理の鉄人と言えば神戸では年に一回新神戸オリエンタルホテルで中華の鉄人"陳健一"さんと、フレンチの鉄人"坂井宏行"さんが、実際に料理をつくるディナーパーティーがあります。超巨大画面にテレビさながらホテルの厨房で料理する両氏が実況アナウンス付きで映し出され、できたての料理がテーブルに運ばれてくるのですが、まるで客全員が料理評論家にでもなったつもりで頷き、首を捻り、『ほぉー』と呻きながら食べる、楽しい催しです。毎年2月か3月頃にしていますので、宜しければ神戸まで遊びにいらして下さい。
そこで2日目のディナーは、雨宮さんや森本さん夫妻を誘ってステーキ専門店に行くこととなりました。『ハイグランド』というレストランで、ホテルで予約を取っていたのですが、ここで大きな失敗をしてしまいます。
タクシーで7、8分くらいの所ですが、到着してびっくり!レストランは地下だったのです。おまけにエレベーターがない!

中はかなり暗く、まるで西部劇に出てくるような雰囲気のお店です。ほぼ満席状態ですが、日本人客は私たちくらいで、あとはすべて地元の人のようです。
ステーキレストランですので当然ステーキを注文したのですが、予想通り巨大ステーキが運ばれてきました。日本で食べるステーキの倍くらいボリュームがあり、恐らく350gくらいはあると思います。味わって食べる日本のステーキに比べて、大胆に食べるステーキといった感じです。
今までの経験から、サラダやスパゲティなどのサイドオーダーは量的に注文しない方が無難と踏んでいたのですが、それにしても予想以上の大きさでした。結局、食べきれた人は一人もおらず、勿体なくも全員が残してしまいました。

ちなみに、もしも量的に全部食べられる大食いの人がいたとしても、鮫やワニ並みに顎が強くないと、多分最後は疲れて噛めなくなってしまうでしょう。私たちがそうでしたから・・・。(笑)
私は道中記ニュールンベルグ編でご紹介したように、数年前までは現地3泊くらいでビッシリのスケジュールを組み、展示会場とホテルだけの往復をして展示会と商談が終わると一目散に帰国する、という出張をしてきました。それでこそ"ビジネス戦士だぁ"と奮い立っていたのですが、あることがきっかけで自分の見識や洞察力、経験、知識、その他もろもろを高めるために、『有駄有駄(うだうだ)タイム』を設けることにしました。
町の商店街や公園を探索して流行や文化を感じたり、美術館や博物館で教養を高めたりするための時間を半日くらいもつというもので、無駄と言えば無駄ですが、決して無駄ではない。それが有駄有駄タイムなのです。

この"特殊任務"には森本さん夫妻も賛同で、午前中いっぱいは最後の総仕上げとばかりにメドトレードをゆっくりと回り、抜け目や見逃しがないことをチェックすると3人で会場を後にしました。
メドトレードの会場であるワールドコングレスセンターからワールド・オブ・コカコーラまで1.8Kmくらいでしたので、街並みを観ながら歩いて行きましたが、途中でどう見てもスラム街としか思えない一画に紛れ込んでしまい、3人とも顔を引きつらせながら足早に進みました。

そんなこんなで、無事ワールド・オブ・コカコーラへ到着したのですが、観光客でごった返しているかと思いきや、意外とがら空きでした。まぁ、シーズンオフのしかも平日なのですから、よく考えればそうかもしれません。
もう一つの思い違いは、入場料がいるということです。世界有数の巨大企業であり、自社の広告宣伝的な意味合いの強い施設なのでてっきり無料かと思っていたのですが、ちゃっかり有料だったのです。ここまで来て引き返す訳にもいかず、6ドルを払って3人で入場しました。まぁ有料とは言ってもコカコーラ飲み放題ですし、話のネタになりますので良しとしましょう。
入場するとまず3階までエレベーターで上がって、上から下へ見学していくのですが、まずはコカコーラの製造工場のミニチュア版があり、その周囲に開発と発展の歴史やあの独特な形のボトルの誕生秘話などが説明されています。

1階はコカコーラグッズの専門ショップで、キーホルダーからグラスにTシャツ、縫いぐるみにマグネット等々1000種類以上の商品が販売されているとのことでした。
時間にして約1時間ほどですが、コカコーラの歴史と発展に驚かせてもらいました。最後にコカコーラの清涼飲料水は、世界中で1秒間に約1万本も飲まれていると付け加えておきます。(びっくり!)
あの真ん中が盛り上がった独特のボトルは、1915年に裾を絞り込んだロングスカートをイメージしてインディアナ州のガラス製造会社が作ったそうで、そのユニークな形で爆発的に販売量が増えたそうです。
コカコーラが世界規模で成長した功労者はロバート・ウッドラフという人で、1923年から1950年まで社長を務め、オリンピックのスポンサーになったり、当時としては斬新の6本入りセット販売を行ったりとマーケティングに秀でていたそうです。
98年に待ち合わせ場所に行くために、通路として地下のアンダーグラウンドを通ったことがありますが、当時すでに1ドルショップな
るものもあり、何年も前から流行っていたそうですから日本の100円ショップのルーツかもしれません。大型ショッピングモールであることは間違いありませ
んが、当時の記憶ではブランド物を買うというような場所ではなかったと思います。全体的に大人の雰囲気と言いましょうか薄暗く(もちろん演出ですが)して
おり、どちらかというと高架下の商店街っていう感じでした。
さて、ワールド・オブ・コカコーラを出て地下への入り口を探すと、それらしいものがあります。何気なく前の公園で掃除をしていた人に入り口はそこですか?
と聞くと、少し唖然としたような表情で『何も知らない海外の人が行くには、あまりにも危険過ぎるよ。行くのなら地上モールにした方がいいよ。』と言いま
す。豆知識『アンダーグラウンド・アトランタって?』に書いていますように、1989年の再オープン以来は治安も良く安全のはずなのですが、地元の人がそう言うのと時間的にどうせ全部は見切れないと思ったので、地上モールへと向かいました。
地上とは言いましても中はまるで地下街のように装飾されており、多くの観光客や地元の買い物客で賑わっていました。地下を通った98年と違い今回は地上モールですが、内容的には同じでやはり高架下の商店街ムードでした。ちなみに、地下モールの安全性については、2003年のメドトレードもアトランタで開催されますので、その時までにガイドブックなどで調べて次回訪問時に確かめに行ってきます。
1837年にこの辺りを起点にして鉄道が発展し、それによって街が繁栄したのですが、今でいう駅ビルができてからはビルの下になった鉄道はアンダーグラウンドと言われ、駅前商店街はこぞって駅ビルの中に移転したのです。しかし、時代の流れで鉄道が郊外に移されると駅ビルも衰退し一時は倉庫としてしか使われていなかったようです。
前述の通り1989年に中心地の再開発によって地下2階地上3階建てのショッピングセンターとしてオープンしました。
ワールド・オブ・コカコーラ展示館のすぐそばを始め、あちらこちらに出入り口があります。15,000坪のモールの中にレストランやバー、各種ショップはもちろん、ライブハウスや刺青入れ、似顔絵描きなど様々なお店やワゴンセールがあります。
その後カーネルおじさんは、私が搭乗する飛行機に乗りこんで行きました。たまたま、この時の出張には妻も同行していましたので(もちろん、妻の旅費等は自腹です)、機内で食べる食料を買出しに行っていた妻が戻るとこのことを話し、飛行機に乗りこみました。カーネルおじさんはファーストクラスに奥方様と乗ってらっしゃいました。ゆっくりと横を通過しながら様子を覗うと、あのお馴染みの白い上品なスーツの襟元にはKFCの社章が!そう、ケンタの社章が付いていたのです。
妻と自分達の席についてから、しばらく考え込みました。かなり昔ですがケンタのお持ち帰り用箱の外側に1950年代に60歳代で創業したと書いてあったのを覚えていたからです。社章は間違いなくケンタのものでしたが、生きていらしたとしても100歳以上のはずで、さっきの人はどう見ても60歳代か70歳代です。『もしや息子さんかも?』と勝手な想像をし、離陸後にそれを確かめるべくファーストクラスまでノコノコと出かけました。失礼とは思いながら声をかけると笑顔で接してくれ、記念写真まで撮らせてもらいました。
いただいた名刺は正真正銘のケンタの名刺で、どちらかと言うとプライベート用の名刺でしたので役職は分かりませんでしたが、普段から宣伝を兼ねてあの人形と同じ服を着て生活していることが多いそうです。

1930年、43歳の時に色々なスパイスと調理方法を駆使してあのフライドチキンを完成させ、当時経営していたガソリンスタンドにレストランを併設してメニューとしたところ、その美味しさで大人気となりました。その後1952年、65歳の時にハイウェイの建設で客数が激減したことでレストランを閉鎖して本格的にフライドチキンのフランチャイズ展開をしました。
以来、90歳で亡くなるまであの格好で宣伝をしたそうで、私が会ったカーネルおじさんは、その意志を継いでいらしたということです。ちなみに本名はハーランド・サンダースで、1935年に美味しいチキン料理を普及させた功績を称え、州知事から'カーネル'という称号を与えられてからカーネル・サンダースと言われるようになりました。カーネル(COLONEL)って辞書では'大佐'ですが、称号で大佐っていうのも変な話で、もしも違う意味をご存知の方がいらっしゃったら教えて下さい。以上、横道のそのまた横道話でした。
ところで、アトランタからラスベガスへはミネアポリスとロスで乗換えをするのですが、その間の飛行機で少しばかりトラブルがありました。 安全と保安上の問題ということが建前ですが、実際には車椅子が座席通路を通れないということが本音のようです。そこで森本さん、空港係員の前でいとも簡単に車椅子の大車輪を外します。そうすると補助輪が付いていて、自走はできないものの、それだけでも安定した車椅子として機能するのです。
あまりこのような車椅子を見たことがないのか、空港係員は『それなら良いです』と快く了承してくれました。
取り外した大車輪を、フライト・アテンダントの荷物室かどこかに保管してもらわないといけないので、本来は手荷物として別途料金がかかるかもしれませんが、これまでの道中ではすべてサービスとして無料で引き受けてくれました。 また、搭乗前のボディチェックが同時多発テロ以来とても厳しくなっており、時間がかかるので長蛇の列になりますが、私たちは常に最優先で別通路から通過させてもらえます。一つには車椅子の人の負担を減らすためですが、そもそも一般の金属探知機ゲートは、幅的に車椅子が通過できません。
物凄い混雑をしている通路を横目に通過できる反面、その後のボディチェックはかなり厳重にされます。例えば車椅子のパイプに凶器や火薬を詰めていないか、座面に何か入れていないかなどですが、車椅子の人に限らず全般的に同時多発テロ直後の去年よりも更にチェックが厳しくなったように感じます。 ラスベガスについては、かなりの情報をラスベガス編に掲載していますので、ご興味がおありの方はそちらをお読み下さい。
それ以降に完成したホテルや、体験したアトラクション、車椅子の森本さんから見たラスベガスなどについても、ラスベガス編に追加記載とさせていただきますので、是非ご覧下さい。
デュッセルドルフ、ケルン、ニュールンベルグ共に、中央駅は歴史と威厳を感じさせる古い建物でした。言い換えると、エレベーターはおろかエスカレーターさえも目にすることができませんでした。(駅のどこかに在るのかもしれませんが、発見できませんでした)
私自身、まだ頭の整理ができていませんので何とも言えませんが、決して歴史を大切にすることが悪いことだと思っているわけでも、車椅子の人の為だけに(決して軽視しているわけではありません)優雅な石畳を平らなアスファルトにすれば良いと考えているわけでもありません。 身近な例では、視覚障害者のために交差点などで設置されている点字ブロックは、車椅子の人にとっては単なる凸凹で邪魔になるそうですし、雨の日などはスリップの原因にもなるそうです。
ある人々には便利でも、ある人々には邪魔になる物。そんな矛盾する物は、私たちの日常にも山ほどあります。今後の福祉環境の充実に大きな障壁になるかもしれない矛盾(=立場の違い)を完全に無くすことは不可能ですが、お互いがお互いの立場を理解し尊重し合った上で、100%満足ではないにしても妥協できるところで解決策を見つけていくことが大事なのかもしれません。
以上、まとまりのない終わり方になってしまいましたが、バリアフリーとはそれほど複雑な問題を抱えているということでご容赦下さい。
これをもちまして、海外道中記アトランタ編を終わりますが、今後もアトランタを再訪問した際には新しい情報を追記していきますので、是非またお越し下さい。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしてあとがきとさせていただきます。